MUFGのオープンイノベーション戦略

シリコンバレーという世界最先端のイノベーション拠点で、日本の金融グループ三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)はどのようにオープンイノベーションを実践しているのか。
限られたリソースと知名度の中で、日米の商習慣や組織文化の違いを乗り越え、成果を上げるための取り組みとその具体的成功事例を、現地で活動する三菱UFJフィナンシャル・グループ デジタル戦略統括部 Head for Americasの大西潤氏とHead of Business Developmentの前田俊輔氏、そして三菱UFJイノベーション・パートナーズ (MUIP) Chief Investment Officerの佐野尚志氏が語る。
4日に開催されたフィンテックサミット(FIN/SUM)のセッションでモデレーターを務めた、三菱UFJフィナンシャル・グループ デジタル戦略統括部 事業開発グループ次長の松田晃典氏を交え、スタートアップとの協業で重視するポイントから、マネジメント層との連携、そして今後の展望まで、実際の協業実例も交えて日系企業が海外でイノベーションを起こすためのエッセンスに迫る。
MUFGのグローバルイノベーション体制と活動戦略

三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は、世界的な金融機関として、テクノロジーイノベーションを取り込むためにシリコンバレーに専門チームを配置し、組織的な取り組みを展開している。その中核となるのが「グローバルイノベーションチーム(GIT)」と「三菱UFJイノベーション・パートナーズ(MUIP)」の2つの組織だ。
グローバルイノベーションチームの活動基盤

2014年にシリコンバレーに設立されたグローバルイノベーションチーム(GIT)は、少数精鋭の6名体制でありながら、効果的な活動を展開している。Head for Americasの大西潤氏によれば、GITの活動は「リサーチ」「検証・創出」「協業推進」「エコシステム」の4つの柱から成り立っている。
設立当初はトレンド調査が主な役割だったが、現在では実証実験(PoC)の実施や新しいサービスの創出に重点を置いている。大西氏は「最近はエコシステムへの入り込みに特に力を入れている」と語る。シリコンバレーはネットワーク型のコミュニティであり、まだ現地での認知度が低いMUFGがプレゼンスを確立するには、各メンバーが自分の専門領域で存在感を示すことが必要だと強調する。
具体的な取り組みとして、スタンフォード大学との契約を結び、大学のOBネットワークへのアクセスを可能にしている点も特徴的だ。こうした活動は、単なるリサーチではなく、現地のエコシステムに深く根ざした価値創造を目指すうえで欠かせない。
三菱UFJイノベーション・パートナーズの投資戦略

三菱UFJイノベーション・パートナーズ(MUIP)は、MUFGのコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)として機能している。MUIPのChief Investment Officerの佐野尚志氏によれば、MUIPはファンド形式で運営されており、「金融的な規律」を保ちながら戦略的な投資を行っている。
協業は大前提ですが、戦略的にうまくいっても、スタートアップが潰れてしまっては意味がありません。最低限、スタートアップの成長やエグジットの可能性を見据えた投資を心がけています。(佐野氏)
MUIPの投資目的は大きく分けて「事業共創」「業務変革(DX、AI導入など)」、そして「R&D」の三つがある。特に「R&D」については、米国投資においてはシリコンバレーで日々生まれる革新的なテクノロジーにアクセスするための窓口として位置づけられている。中長期的な目線で、MUFGが自社で開発・研究できない領域を外部化する手段として、CVCを活用している点が特徴だ。
投資地域としては、テクノロジーの集積地である米国やイスラエルのみならず、日本や東南アジア、インドなど幅広い地域をカバーしている。
両組織の連携によるシナジー効果
GITとMUIPは別組織でありながら、密に連携することでシナジーを生み出している。相互に情報連携を行い、GITがシリコンバレーで見つけた有望企業をMUIPが出資・支援するという協業モデルが確立されている。
三菱UFJフィナンシャル・グループデジタル戦略統括部Head of Business Development, Global Innovation Team (GIT) の前田俊輔氏は「GITはスタートアップの発掘と関係構築に強みがあるが、投資の専門家ではない。一方、MUIPは投資の専門家。お互いの強みを生かして協力することで、スムーズな連携が実現される」と説明する。
MUFGは組織として縦割りになりがちな大企業だが、イノベーション領域では部門を超えた横の連携が円滑に行われている。これを支えているのが、経営層の理解と後押しだ。前田氏によれば、「MUFGはデジタル領域においては、かなり機動的に動ける組織になってきている」という。
この組織的特性は、特にデジタル分野でのイノベーション推進においては大きな強みとなっている。経営層の理解があることで、仮に中間管理層が保守的なスタンスを見せても、真に必要な場合はトップダウンで先進的な取り組みを進めることができているのだ。
日米連携の成功事例
MUFGがシリコンバレーでのオープンイノベーション活動を通じて築き上げた協業の実績は、単なる技術導入を超えた戦略的な成果をもたらしている。ここでは、代表的な成功事例と今後の展望について紹介する。
SINAI社:カーボンニュートラル実現に向けた取り組み

2021年、MUFGがカーボンニュートラルを宣言した際、グループ全体の温室効果ガス(GHG)排出量の効率的なモニタリングシステムが求められていた。GITが見出した解決策が、GHG排出量測定のSaaSを提供するSINAI社だった。
このプロジェクトは「MUFGとしては異例のスピード」で進行したという。2021年12月に採択してから計6ヶ月でサービス導入に成功した背景には、スタートアップとの丁寧なコミュニケーションと、関係部との緻密かつ迅速な調整、そして経営層の迅速な意思決定があった。
この事例は、日米間の商習慣の違いや時間感覚の差を乗り越え、Win-Winの関係を構築した好例となっている。
Abnormal Security社:AIを活用したビジネスメール詐欺検知

サイバーセキュリティの分野でMUFGが注目したのが、AIを活用したビジネスメール詐欺(BEC)検知ソリューションを提供するAbnormal Security社だ。大西氏によれば、ビジネスメール詐欺は特に米国では「ランサムウェアを超える最大の脅威」となっている。
従来のフィッシング対策では判別できない高度な攻撃に対して、Abnormal Security社は人工知能を活用して送信者の「行動パターン」を分析し、通常とは異なる不審な行動を検知するというアプローチを取っている。同社の技術は元々X(Twitter)やGoogleのレコメンデーションシステムを研究していたエンジニアが、セキュリティ領域に応用したものだという。
MUFGは米国の並みいるトップバンクが注目するよりも早い段階から同社にアプローチし、外部専門家やスタンフォード大学のセキュリティ教授との議論も重ねて技術の価値を確認。その上で早い段階で、同社にMUFGグループCEOを直接対面で紹介するなど、スタートアップ側にMUFGの本気度を示すことで、協業を進めてきた。
Auxia社:AIによるマーケティング最適化

マーケティング分野での協業事例として、佐野氏が紹介したのが、AIを活用したマーケティングプラットフォームを提供するAuxia社だ。同社はGoogleの幹部だった人材が創業したスタートアップで、従来マニュアルで行われていたカスタマージャーニーの最適化をAIエージェントで自動化するプラットフォームを開発した。
MUFGはグループの資産運用プラットフォーム「Money Canvas」での実証実験を経て本格運用を開始し、「主要指標の大幅な改善とCX最適化運用の効率化につながった」 という成果を得ている。この協働は同社の日本市場進出の足がかりにもなり、現在は日本オフィスの開設に向けて動いているという。
MUFGが「国内初の金融機関パートナー」となることで、Auxia社にとっては日本市場という新たな事業機会が開け、MUFGにとっては最先端のAIマーケティング技術を早期に導入できるという、双方にとってのWin-Winの関係が構築されたのだ。
日米間の協業における課題とその乗り越え方

ではこれらの日米連携はどのようにして進んだのだろうか。事例から得られたTipsをいくつかのポイントにまとめてみる。
シリコンバレーのスタートアップと日本の大手金融機関が協業する際には、様々な障壁が存在する。GITは、これらの障壁を「三つのギャップ」として整理し、それぞれに対する解決策を模索してきた。
三つのギャップを理解する

前田氏は、スタートアップとの協業において直面する課題を「三つのギャップ」として説明する。一つ目は日米間の商習慣の違い、特に契約文化において顕著な違いがある。二つ目は大企業とスタートアップの時間感覚の差で、リソースと時間制約の認識が大きく異なる。三つ目はカスタマイズに対する期待値のずれで、日本企業の細かいカスタマイズ要求とスタートアップのスケーラビリティ志向が衝突することがある。
これらのギャップは、単なる文化的な違いではなく、ビジネス遂行上の実質的な障壁となる。では、MUFGはこれらの課題をどのように克服しているのだろうか。
日米間の商習慣の違いへの対応
アメリカのビジネス文化では「契約に書かれたことがすべて」という考え方が一般的だが、日本では契約書の行間を読む「暗黙の了解」や「柔軟な対応」が期待されることが多い。この違いは契約交渉の場面で大きな摩擦を生む。
前田氏はこの問題に対して、「膝詰めでの交渉」の重要性を強調する。あるプロジェクトでは、契約書や仕様書の1行1行を丁寧に説明しながら交渉し、その後すぐに飛行機で日本に飛んで社内調整を行い、また現地に戻るというプロセスを何度も繰り返した。
このように、単にオンライン会議やメールでのやり取りをするだけではなく、直接対面での丁寧なコミュニケーションを通じて相互理解を深めることが、商習慣の違いを乗り越える鍵となっている。
また、佐野氏は、「日本進出を目指すスタートアップには、日本のSIerやパートナー企業と組むことで、言語や文化の壁を低くする」アプローチも有効だと指摘する。
時間感覚とスピード感の違いの調整

スタートアップと大企業の間には大きな時間感覚の違いがある。スタートアップは限られたリソースと時間の中で迅速な意思決定を迫られるが、大企業は決定までに慎重なプロセスを踏む傾向がある。
この課題に対して、MUFGが採用した戦略は「マネジメント層との距離感を近くする」ことだ。経営層とも直接コミュニケーションを取り、意思決定を迅速化すると同時に、初期段階から明確なマイルストーンを設定することで、プロジェクトの進捗を管理している。
特にSINAI社との協業では、このアプローチによって驚くべきスピードで導入を実現した。要件定義から契約、開発、ローンチまでを6ヶ月という短期間で完了させた事例は、MUFG内でも特筆すべき成果となっている。
カスタマイズ要求への現実的なアプローチ

日本企業は往々にしてシステムやサービスの細かいカスタマイズを求める傾向がある。一方、シリコンバレーのスタートアップは、スケーラビリティを重視し、カスタマイズよりも標準化されたソリューションを提供することを好む。
この期待値のずれを調整するために、MUFGが採用したアプローチは「将来的なビジョンを共有する」ことだ。前田氏は、「日本に進出するならこういう機能があった方が展開しやすいのではないか」といった観点から対話を進め、スタートアップ側の事業戦略にもメリットがあることを示しながらカスタマイズの必要性を説得している。
佐野氏は「スタートアップにとって大企業専用のカスタマイズは本意ではない」と指摘した上で、「相互理解の過程で段階を追い、明確なマイルストーンを設けること」の重要性を強調する。これにより、双方が納得できる範囲でのカスタマイズを実現している。
組織的な壁を乗り越える工夫
大企業の中間管理層は、安定性やリスク回避を重視する傾向がある。通常業務の円滑な運営の観点では重要だが、新しい技術導入を推進する際には障壁になることも少なくない。MUFGでは、この問題に対して「なぜやらないのか」ではなく「どうやったらできるか」という思考への転換を促している。
特にAIのような急速に進化する技術領域では、早く試し、早く学ぶことの重要性を経営層に理解してもらい、そこからのトップダウンで組織を動かす戦略を取っている。大西氏は「AIは加速度的にソリューションが出てきている。その意識で早急に対応していかないと、知らないうちに競争力を失っていく」という危機感を経営層と共有することで、組織的な障壁を低くしているという。
日本市場進出を目指すスタートアップへのサポート
シリコンバレーのスタートアップが日本市場に進出する際には、言語や文化、ビジネス慣行などの違いが大きな障壁となりうる。佐野氏は「シリコンバレーで生まれたイノベーションを日本に連れてくる」ことを重要な役割と位置づけている。
具体例として、米国のTeamshares社(事業承継のスタートアップ)やReflexivity社(金融データAI)などが、MUIPの支援を受けて日本市場への展開を進めていることを紹介した。MUFGは単に技術やサービスを導入するだけでなく、日系SIerとも連携してサポート体制を整えることで、日本市場特有の課題を解決する手助けも行っている。
これらの経験から、MUFGのチームは日米協業を成功させるための重要なポイントとして、ビジョンの共有を最も重視している。お互いの長期的な目標や戦略を理解し合い、明確なマイルストーンを設定することで、「本気度」を行動で示すことが成功の鍵となっているのだ。
アジア展開とソフトウェアカンパニー化

MUFGが次のステップの1つとして見据えているのが、シリコンバレー発のイノベーションをアジア市場へと展開していくことだ。
三菱UFJフィナンシャル・グループ デジタル戦略統括部 事業開発グループ次長の松田晃典氏は「アメリカから日本に連れてくるのがフェーズ1だとすると、東南アジアなど私どもMUFGのネットワークが強い地域への展開がフェーズ2」と語る。
また、大西氏は「MUFGをソフトウェアカンパニーにしたい」という将来ビジョンを語った。「JPモルガン・チェースやBBVAなど海外の先進的な金融機関は、すでに自分たちをソフトウェアカンパニーと位置づけ、自前でソフトウェアエンジニアを抱えてサービスを開発・提供している」と指摘し、MUFGもその方向に進むべきだと述べた。
前田氏は「MUFGの知名度を上げたい」という目標を掲げる。「日系企業のポテンシャルをシリコンバレーで発信したい。日系企業と組むと『しっかりプロジェクトが完遂できる』という強みがあるが、それを知らないスタートアップが多い」と語り、日系企業のオープンイノベーション領域での国際的なプレゼンス向上の必要性を強調した。
チャレンジ文化の醸成:シリコンバレー精神の移植
佐野氏は、シリコンバレーから学ぶべき重要な要素として「チャレンジをするカルチャー」を挙げた。「シリコンバレーではスタートアップで失敗した人は『失敗した人』ではなく『チャレンジした人』として見られる」と指摘し、そのマインドセットの重要性を強調した。
新規事業やDXは、10個挑戦して10個全て成功することはあり得ません。チャレンジ数を増やし、それを繰り返すことを当たり前とする組織文化が必要となります。そして成功事例を通じて、「MUFGってチャレンジしてるよね」という認識を広げ、それが社会全体に伝播していくことを目指しています。(佐野氏)
成功事例を重ねるMUFGチームだが、その背景にある「目利き力」として大西氏は「7つの注力領域を定め、それぞれのメンバーが専門性を持って分析して、スタートアップやVCにアプローチしている」と説明する。スタートアップとの対話では「どれだけ情熱を持っているか」「我々の状況に共感してくれるか」「ビジョンが合致するか」を重視しているという。
「国内のSIerではできないものをシリコンバレーから持ってくる」ことを基本方針とし、単なる技術導入ではなく「一緒に新しいビジネスを創る」という視点で協業先を選定している。
「村社会」と呼ばれるシリコンバレーでの存在感確立
シリコンバレーは「村社会」と形容されるほど閉鎖的なコミュニティであり、認められないと生き残れないとも言われている。そんな環境でMUFGは、地道な活動を通じて少しずつ存在感を高めてきた。
最初は厳しい状況だったが、「諦めずに当たって当たって当たり続ける」姿勢により、現在では「クローズドのイベントに急遽呼ばれ、アピールの場をもらえる」など、エコシステム内での地位を確立しつつある。
この経験は、日本企業がグローバルなイノベーションエコシステムに参画するための貴重な教訓となっている。単なる技術や資金の力だけでなく、「人間関係」「専門性」「粘り強さ」といった要素が、国際的なイノベーション活動では重要な意味を持つことをMUFGの事例は示している。
日系企業によるオープンイノベーションの新たな可能性
MUFGのシリコンバレーでの取り組みは、日系企業によるグローバルなオープンイノベーションの可能性を示している。大西氏、前田氏、佐野氏の経験から浮かび上がってくるのは、「本気度」と「スピード感」を持って挑戦し続けることの重要性だ。
彼らが強調するスタートアップ協業の成功には、経営層のコミットメントとスピーディな意思決定が不可欠である。また各メンバーの専門性とエコシステム内での信頼構築も欠かせない。互いのビジョンを理解し共有する姿勢を持ち、失敗を恐れないチャレンジ精神を育むことが重要だ。
シリコンバレーと日本の架け橋となり、最先端のテクノロジーやビジネスモデルを日本に、そして東南アジアに展開していくという彼らのビジョンは、日系金融機関の未来図を示すものだろう。
真のグローバルイノベーションは、技術導入だけではなく、異なる文化や価値観を理解し、リスクを取りながら共創していく姿勢から生まれるのだ。